お城をあとにして、やってきたのはやはりココ。
あの白虎隊の悲劇がおこった飯盛山である。ここは若松城とセットで訪れなければと思っていた。
飯盛山の白虎隊のお墓や自決の場までは急な階段を登ってゆく。右サイドにはお年寄りも多いので、エスカレーターがついている。ここは確か小学校低学年の頃、親父に連れてこられた。歴史探訪が大好きな親父で、白虎隊のことを良く教えてもらったことは覚えている。でも、どんなところだったか・・・。あまり覚えてない。
山の上には自刃した19名の白虎隊士の墓があり、また同じく自刃した武家女性や討ち死にした婦女子約200名の霊を慰める石碑の「会津藩殉難烈婦碑」がある。その脇を通り、19名が自刃した場所へ向かう。ここがその場所に建つ霊塔。
飯盛山の中腹には松林があり、まさにこの見晴らしのきく場所で16~17歳の少年たちは身を休めた。始めて経験する凄まじい戦闘と、敗走、睡眠不足とで少年たちは疲れ切っていた。そして、この高台から鶴ヶ城を見たのである。城は黒い煙につつまれ、五層の天守閣の白壁には赤い炎が燃えさかっているようにみえた。
火の海となった城下からは、絶え間なく砲声と銃声がとどろいている。少年たちは予想もしなかった光景に息をのんだ。命とたのむ鶴ヶ城ももはや落城している。(と錯覚してしまった)。 しばらくの談合の後、敵の手に掛かることを拒み、最後まで会津の武士らしくあろうとした少年たちは、遥かに鶴ケ城を臨むと姿勢を正し、一礼してから次々に自刃したのである。この城を仰ぎ見る少年の像を見ていると胸が痛い・・・。