今思えば、会社に約20年も勤めてしまいました。う〜む、チト長すぎたな〜・・・。
一応、アパレルの花形、婦人服部門を担当し、ラッキーなことに主にアメリカのキャラクターブランドを手がけることができました。自己成長期(がんばり期)にはセールスマネージャーとして日本全国を、自己最盛期には念願のマーチャンダイザー・バイヤーとしてNEW YORKとTOKYOを飛び回り活躍しました。(最初は良いケド、そのうち12〜14時間のフライトは苦痛以外の何者でもなくなります。しかもハードワーク。もう仕事では2度と行きたくない・・・)
アメリカを相手にしたので、アメリカのマーチャンダイジングの本質「合理的で分かりやすい」を会得することができました。また、資本主義の原点も垣間見るこ ともできた。つくづく日本は社会主義的な国で、物事の決定に関しては「論理的思考」は薄く「義理人情浪花節」で断を下していることが実感できた。
まあ、それで良いのだが・・・。
百貨店担当の営業マンからスタートし、20代での仕入責任者登用、30代になったばかりで販売責任者登用、そして1番やりたかったマーチャンダイザーとしての企画登用とナゼカ?次々に重要ポストを与えられ順調に成長を遂げていきました。これも尊敬できる素晴らしい上司に恵まれたおかげ・・・。
ふりかえって見れば、休みもなく良く働いたが、「販売」「仕入」「商品企画」「販売促進」「ブランド戦略」「タフ・ネゴシエーション」「採用・考課・解雇等社員管理」等、あらゆる能力を身に付けされていただきました。経営の中核を担うゼネラリストとして、私に対し多額の投資をし教育してくれた会社には今も感謝しております。ありがとうございました。
事業家(明治創業、従業員100名の染色工場経営)の長男として生まれ工場育ち。事業継承を託されておりました。しかし、オイルショック、国の環境対策の強化による公害対策設備投資の増大等により超不況業種となり入社3年目に社長である父がやむなく廃業を決断。このときの父の無念さを思うとたまりません。この頃から「中小企業の支援」とう命題は心の中にあったのかもしれません。
父より「経営者たるは」という帝王学を受けていましたから、サラリーマンというのはまったく性にあいませんでした。会社を良くする方向として「正しい」と思えば、言いたい放題に率直に述べていました。先輩だろうが上司だろうがナンだろうが・・・。
自分の会社に戻ることも叶わなくなってからは、意識も変わりパワーも増し、ひたすらワークしていました。
入社後会社は業績がド低迷。10年もすると業績悪化に歯止めがかからなくなり、何期にも渡り連続して赤字。こんなに長期にわたり赤字続きでいいの?ナンジャ〜コリャ〜??? 誰が見てもありえない、不思議な状況がズ〜ト続いておりました。
あくまでも当時の話ですが、経営に近いところへ行けば行くほど「責任の所在が無く、変革の意志なし。経営の勉強はホトンド誰もしていない。戦略がなく、過去の実績と経験をベースとしたパターン戦術(馴れ合い)で戦っている。責任の所在がハッキリしないので中間管理職まで自己保身のバリヤーを張り巡らすコトが可能。」 少なくとも私の目にはハッキリそう写りました。まあ、業績が悪い会社は皆そうです。
ちょっと、横道にそれますが昨今、「勝ち組」と「負け組」の会社が2極化しその差は開く一方。その差はいったい何なんですかね〜・・・? 実は、歴然とした「差」があるのです。それは・・・
勝ち組は「変化を楽しめる」のです。
過去の成功や方法をアッサリと捨て去る「潔さ」を持っている。こういう会社は商品も、サービスも人もドンドン変化し進化してゆきます。仕事は厳しく辛いですが「モチベーション」は凄い!なんたってチャンスに満ち溢れていますからね!
負け組は「変化が大嫌い」です。
過去の栄光、成功、やり方に徹頭徹尾しがみつきます。こういう会社は一発で分かります。何年経っても同じ人が幹部をやり、お友達幹部たちがず〜と居残っている。(そして、驚くことには、社長を含め、幹部たちはここ5〜10年、成功実績がひとつもないのが常。) 「モチベーション」は限りなく0ゼロに近く、事なかれ主義でチャンスは0ゼロに近い。白けた雰囲気が充満している。
で1番問題なのは、「負け組」は知恵を絞り、一生懸命働き、みんなで一緒に努力さえすれば「勝ち組」になれると思っているコト。しかし、今ではそれは絶対不可能!これが分からないからズ〜ト負け続けるワケです。
どんなに頭の良い優秀な社員を集めてもダメ。「勝ち組」と「負け組」の差は「知識」「能力」「努力」の差ではなく「変化を楽しめる力」を持つことだからです。このことを「負け組」の経営者はしっかり認識してほしい。自分で無理なら早くできる人に譲ったほうが良い。社員が全員不幸になりますからね・・・。もしあなたの会社が「変化が大嫌いな会社」で、あなたが自分に自信があるのであれば、トットト転職したほうが良いですよ。
あ〜っ、ゴメンナさい!話を戻しましょう。
言いたい放題の私でした。直言が災いしたのか(上など見てなかったし、実力のないダメ幹部たちとは口も聞かなかった。)、ある時、自分としては考えられない理由を突きつけられ主要ポストをはずされた。さらに思いっきり降格だ。
いわゆる「見せしめ」を食らったワケ。
くそ〜!ふざけやがって!あのヤロ〜!
頭に来て夜も寝られない日もあった。これはもういるのが「嫌」になりますワナ。
ナゼこうなったのか・・・。実は3回目の大リストラで私を登用してくれていた幹部達がこぞって退社してしまったワケです。「お前はもうちょっと残ってヤレ!」だって・・・。オイオイオイ・・・、待ってチョ〜! その結果、ミゴトに私はとても使いにくい人になっちゃったワケ。サラリーマンなんて所詮こんなモンです。しかたない・・・。
リストラやると実は、「できる人」から辞めてゆくという現象がおきます。コレホント!やり続けると最後は、いつのまにか自己保身優先の実力のない人たちの集まりが形成されてゆくというワケです。その人たちが会社の命運を握っている・・・。怖いですね〜・・・。
パワーをもてあましていた1999年。すでに98年には会社に見切りをつけ、その年の秋から秘かに転職を画策し、会社訪問・面談を行っていた。600万〜700万くらいではポンポン決まるのだが内容に納得できず断りの連続。1000万以上になると流石に優秀な人が多く、最終でOUT。な〜んて繰り返しだった。
そんなある日、ある会社にお断りをした帰り道、書店で立ち読みをして「社労士」を知り、その魅力に一気に引き込まれてしまった。その本がコレ「社会保険労務士になる本」。著者は斎藤之幸先生。後に私が入門を志願し、師事し、教えを会得し成功に導いてくれた師匠である。
そしてその本に裏にはこう書いてある
「社会保険労務士になるべく決意を固める。サラリーマンを必ずやめ、独立し、社会そして企業のため活躍したい。初志貫徹あるのみ。H11.7.17」 と・・・。自分に始めて「ミッション」を持った瞬間であった。
「あった!コレだ! 中小企業の社長の支援ができる!
俺の力はコレに全て投入しよう!」
脱サラし「独立開業」か!これこそ自分の道。つまらんサラリーマンと決別だ!転職しても社長にならなきゃ同じこと。本を握り締めながら、武者震いしたのを今でも覚えている。
ここでアメリカで学んだ「資本主義の本質」が生きた。簡単言うとそれはこうだ・・・
「雇う側にまわらなければ、美味しい果実はない!」
この言葉が脳裏を駆け回った。ここで人生を大きく変えるんだ!
ハーバードを出ようが、マサチューセッツを出ようが、アメリカの優秀な大学生は大企業にはあまり就職しない。起業する人が多いのである。それは大会社で役員になる確率が低いから。おわかりだろうか・・・。
そして99年8月、秘かに、そして誰にも知られぬように生まれて始めて「猛勉強」を開始。絶対に1年で合格したかった。
幸運なコトに思い切り降格したため、当時与えられた仕事は自分の能力の20%も出せば楽勝だった。ピンチがチャンスにすり替わった瞬間であった。スベテがラッキーな方向に向かいだしたのである。
そして翌2000年(平成12年)、在職中にナント独学で一発合格を果たしたのであります。12月1日の合格発表の日、厚生労働省本省にて自分の受験番号を見出したときの感慨は一生忘れない・・・。限られた時間で良く勉強した。会社は捨てていたが、担当したエリアがあまりにもひどかったので1年で立て直してしまった。仕事と勉強を両立させて合格したのである。
そしてこのことは会社の誰も知らない・・・。
合格して約1年後、(秘かに)待ちに待った4回目の大リストラが実施されることを知った時はもう「天にも昇る気持ち」だったね〜・・・。これで辞める大義名分は自動的に立ち、起業に必要なまとまった資金を手にすることができる!
当時はふたたび営業にもどされセールスマネージャーとして北関東、東北全域、東海地方を駆け回っていた。最後は上司や部下たちと楽しくやっていたが、この種の仕事はもう飽き飽きしていた。
「やった〜!これでやっと辞められる!」
申し込みの初日、朝1番で提出したときの「高揚感」は忘れられませんよ。
そして2002年(平成14年)1月末、無事退職することが出来たのである。
私は自信満々だった。営業力には自信があった。そしてネゴは得意中の得意。俺を論破するならカカッテ来い!まとめてギャフンと言わせてやる!というタイプだった。今思えば自信過剰。いや恐縮だが、周りのレベルがたいしたことなかったから出来たことであった。
ここから自分の甘さを痛烈に実感し、地獄を見ることになる。
2002年(平成14年)10月、遂に自宅にて「ユキチ経営労務研究所」を開設。社会保険労務士業を開始したのである。
そして大きな3つの「愕然とした事実」と身につけなければならない「5つのスキル」が立ちはだかるのである。
これはもう致命的・・・。 営業に自信があるからこそ「社労士」でも成功できると思った。「俺様のような奴はおらんだろう。ひとり勝ちしてやる!」そういう確信と仮説があったからこそこの道に入ったのである。
まったくの間違いであった。
セールスというのは
「不特定多数の知らないお客から契約を取る」
というコトだったのである。
会社のカンバンを最大限利用しながら行う「ルートセールス」は対象外。そのノウハウはホトンド役に立たない。それどころかその時ついた悪い「クセ」を捨て去らないといけなかった。むしろサラリーマン時代の営業力は邪魔物だったのである。
開業と同時に、毎日コツコツと「飛び込み営業」を行った。断りの連続に耐えながら、すさまじい精神の消耗と戦いながらコツコツと毎日ドアを叩き続けた。1ヶ月目「0」。2ヶ月目「0」。全然契約を取ることは出来なかった。おかしい・・・。
自信を失った瞬間、お金が減ってゆくという猛烈な恐怖が襲ってきた・・・。
なにしろ収入は契約が取れなければ「0」。私立中学に入学したばかり息子をかかえ、多額の家のローンをかかえ・・・。退職金などあっという間になくなってゆく。家族を破滅に導いていきそうな恐怖。私は愕然とした。そしてノイローゼ寸前の地獄の日々が始まったのである。
まあ、会社の中ではカナリ仕事ができたと思っておりました。今まではサラリーマンです。会社からお金をもらっています。でも独立すると、自分にお金を払ってもらわないといけません。いわば本当の「プロ」として活動し、価値をお客に認めてもらわねばならないワケです。
独立すると、周りは競合相手ばかり。誰も助けてくれないし、教えてもくれません。弱肉強食の世界です。開業して間もない頃、成功して稼いでいる人「プロ」の話を聞いて唖然としました。いままで俺は「アマチュア」だったんだ!初めて気づき叩きのめされました。
プロとアマの違い
プロの考え方 | アマの考え方 |
---|---|
・常に明確な目標を持つ ・チャレンジ精神がある ・自信と誇りがある ・自己訓練を習慣化 ・時間を有効に使う ・自分でシナリオを書く ・できる方法を考える ・他人に役立つ喜び ・使命感を持つ ・成功を追い続ける |
・目標が漠然としている ・経験で仕事をする ・ぐちっぽい ・気まぐれ ・時間観念無し ・他人のシナリオを気にする ・いいわけを考える ・自分が傷つくことを回避 ・途中で投げ出す ・現状に甘える |
皆さんはいかがでしょう?私は流石にプロの考え方をしているコトが大半でしたが、レベルが違う。今までド素人の集団の中で生きてきたことを痛感させられました。
プロになるべくスベテの意識を改革しなければならない。私は愕然としてしまいました。
今、たくさんの社長とお付き合いしているが、社長に聞いてみると、「世の中を楽しませる発信力のある会社にする」とか「利益が出る会社にする」とか、「地域密着の愛される会社にする」とか「強い会社にする」などの答え。
それぞれ正解である。ただこれらの答えの中に共通の「キーワード」が隠れている。
何だろうか・・・。
こんな簡単なコトさえ当時の私には分からなかった。つまり「経営の本質」がまったく見えない。もっと言うと「会社」が分からない・・・。「法人」ってナンなの・・・?こんなんでコンサルタントなんてできるの・・・。
わたしは愕然とした。そして経営書を片っ端から読みまくったのである。
2006年(平成18年)6月。 本格的な事務所を立ち上げて移転。名称も「ユキチ労務経営研究所」に改称しました。何年ぶりでしょうか・・・。家から研究所まで久しぶりに「通勤」したときは感無量でした。開業して3年半、遂にこの日を迎えたのです。
第五話でお話した開業時に保持していなかったスキルは、今はすべて自分の物になりました。
開業後1〜2年はがむしゃらに、とにかく何でもやりました。サラリーマン時代の4〜5倍働いた感じ。考える前に行動する。もう考えていたら動けなくなっていた。そのくらい追い込まれていました。もう言葉にならないくらい苦しかった・・・。
そこで私を支えてくれたのが、斎藤労務経営事務所:現(株)アンジェロの社労士開業学校長の斎藤之幸先生でありました。先生は自らの事務所を顧問先数300社(スポット契約一切なし)超の全国TOPクラスの社労士事務所にし、「10人までの人づかい」などのロングセラーを生んだビジネス作家でもあります。また組織経営の分野で「日本講師700選」に選ばれています。
そうです、社労士になるきっかけになった本「社会保険労務士になる本」の著者でもあったのです。実は、斎藤事務所に押しかけ入門を志願したのです。しかし許されず・・・。ちょうど開業学校を開講するというのでそちらに入校し、毎週1回、1年にわたり教えを受けたのでありました。
そこで真の社会保険労務士のあり方、社労士の王道を教えてもらいました。これは腹に響きました。「これが俺の理想としていた社労士像だ!」そう思いました。
ここは非常に重要なポイントです。ここを間違うと成功するにせよ、オペレーションと業績に多きな差がでます。
契約が取れる自信が持てるようになったのが開業10ヵ月後。「飛び込み」で営業しており、新規で飛び込んだ会社は優に2000社を超えていました。そして12ヶ月後には「自信」は「確信」に変わりました。遂にコツを会得したのです。後はバタバタと契約が取れていきました。
苦しかったとき、2つの斎藤先生の教えが救いになりました。
1.「一灯を掲げて暗夜をゆく、暗夜を憂えるなかれ、ただ一灯を頼むべし」
これは斎藤先生の「座右の銘」。幕末の大儒、佐藤一斉の言葉 「一灯とは大きな夢であり、志であり、自分自身である。大きな夢を抱き、志を持ち、自分自身を信じ、それらを明々と灯し続けて進むなら闇夜とて恐ろしいことはない。不安も迷いも不要!ただ一灯を頼りに邁進せよ!」ということ。
つまり「早川、バカになれ!自分を信じて猪突猛進しろ!一生に一度くらいできるだろう!」
2.「頭で考えて、心では考えるな。」
もうノイローゼ寸前のときこれは効いた。 「頭はどんなに使っても壊れないが、心はすぐダメージを受ける弱い存在だ。心は使わないこと。頭で考えろ。感情で考えず、理論理性で洞察せよ」
つまり「早川、多いに考えたらいい。良く検討し断を下せ。だが心は使うなよ!クヨクヨしないこと。考えるのは良いが悩むな!そしていったん決断したら後はしゃにむに、ドンキホーテのように突っ走れ!」
いかがでしたか、参考になりました?
大変長くなりました。でもこれで終わりです。
ユキチのページの冒頭のキャッチコピーで
「リアル体験」こそが知恵を生み、「行動」こそが成功を呼ぶ
と書いておきました。最近、「夢」や「幻想」が大流行で、リアル(現実)は軽視される傾向にあります。これって大変危険なことだと思います。リアルを軽視して成功はありえないと私は思います。
「知識」は豊かになるためには必ず必要なものですが、それ自体でビジネスになることはありません。つまり「知識」では食えないのです。「資格試験に合格したから食えるのか?」食えません。これがその理由です。実は「知識」はリアル体験を通じて「知恵」になります。そうすると「売る」ことができます。
そして「知恵」を持っていても、こんどは「アウトプット」しなければ何もおきません。一歩踏み出さないと、つまり行動に移さないと成功はありません。
最後にこれが言いたくて、ず〜と書いてきました。
コレが成功の本質です。つまり「楽して成功はありえない」のです。
当研究所は、営業エリアでは、成長力NO.1 コンサルティング力NO.1の社労士事務所になりました。でも「成功?」と書いてありますが、今でも成功したとは思っていません。確かに十分に「食える」ようにはなりましたが・・・。
私のミッションは2つあります。
第1は、初志貫徹!
「中小(同族)企業のため活躍したい、そして社会に貢献したい」
私のクライアントは大企業ではありません。中小(同族)企業です。外にも、内にも、大企業とは決定的に異質な問題を抱えています。また、経営戦略、戦術も大企業とは真逆です。これは自分の家が中小(同族)企業だったので、誰よりもリアルに問題を直視することが出来ます。
今後も「リアル」を見つめ続け、問題解決を通じて「知恵」を磨き、
得意の「行動力」によってクライアントである中小(同族)企業の業績UPに貢献したい!
もっともっとたくさんの私を必要としてくれるクライアントと知り合いたい!
第2は、アンジェログループの一員として
「社会保険労務士の地位向上に尽力する」
あまり大きい声では言えないが、社労士の地位は低い。それは今だに「事務代行の手続屋」という認識が蔓延っており、事実、先輩方には申し訳ないがそういう方が大半であるように思う。
「会社をよくするコンサルタント」というコンサルティング能力を保持している社労士はまだ非常に少ないからである。
コンサルティングの分野も急速に変化している。それは「コンテンツ・コンサルティング」から「プロセス・コンサルティング」へ急速に移行していることから伺い知れる。
「コンテンツ・コンサルティング」というのは、御社の問題点はこうです。で、課題を整理するとこうです。ねっ!だから御社の戦略はこういう風にしたほうがいいですよ!方向性はこう、組織はこうです。つまり分析中心で方向性を示すのみのコンサルティング。
「プロセス・コンサルティング」というのは、クライアントの現場に入り込み、一緒にプロジェクトをオペレーションする。コンサルタントも現場の一員。チーフアドバイザーになりきり結果を出してゆくコンサルティング。
どうだろうか、ここにも「リアル」が「現場」という側面で顔をだす。「リアル体験」=「現場力」といっても良いだろう。知識だけのコンサルタントが何の役にも立たないコトは明白である。「コンサルタントは結果出さなきゃゴミ以下」という時代なのだ。
社労士は、最も中小(同族)企業の現場を知ることができる。結果の出せる社労士が出てくれば、会社が社会が注目しないわけがない。
幸い、アンジェログループからは、私と同じく「プロセス・コンサルティング」能力を持つ者が何名か出てきている。彼らと強力なネットワークを構築しながら、
「社会保険労務士はコンサルタントである。」
ということを社会に知らしめ、地位向上を目指してゆきたい。その一環として社労士育成事業にも力を入れてゆく。これは斎藤之幸師匠の願いでもある。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
2008 9月