完走記 ▼エピローグ(大会翌日)
昨日はゴール後宿舎にて同室となった、川口市の中村さん、府中市の中田さんとビールとツマミを囲み、ささやかな完走パーティーを行った。全員無事完走!めでたし!めでたし!
昨夜の夕食は、やはり疲れて不調であまり食べられなかったが、翌朝は完全回復!朝風呂の後、気持ちよく朝食をいただいた。足のほうも、早く走っていないのでナントカ普通に歩くことができる状態であった。
結構、朝早い集合で、眠い目をこすりながら集合。高知龍馬空港へとバスで移動を開始しました。途中、高知城の見学に連れて行ってもらいました。
その模様をどうぞ・・・。
高知龍馬空港への帰途の途中、高知城に連れて行ってもらった。 |
足を引きずりながら歩く不思議な大集団。ヒョコヒョコとお城へと入ってゆく。 |
お弁当つき。バスで配られたが、高知城内で食べようと持ち出したのである。 |
高知城 大手門 |
大手門前の石碑にて記念写真。石垣が大変素晴らしく保存されている。 |
天守に登る石段のすぐ脇にいきなり板垣退助の銅像がたっている。見上げれば高知城の天守が・・・。素晴らしいワンシーンがあった。 |
板垣退助はやはり民主政治の草分けとして人気が高い。旧100円札が懐かしいのう・・・。銅像の横には「板垣死すとも自由は死せず」の碑が立っていた。 |
天守へと続く石段から高知城の「天守閣」を望む。立派なお城だ。高知城は、南北朝時代に最初に築城。この地を大高坂山とよんでいたので「大高坂山城」とよんだ。 |
その後、長宗我部元親が四国統一の野望を果たしたが、秀吉に破れ土佐一国に封じ込められた。その時また築城。しかし、水はけが悪くこの地を捨てて桂浜近くに浦戸城を作った。 |
関が原で長宗我部は破れ改易。ここで山内一豊の登場である。慶長8年(1603)本丸、二の丸が完成。一豊が入場した。そのとき「河中山城」と改名。 |
その後、洪水があいついだ為、「河中」の名が忌み嫌われ「高智山城」と改名。さらにその後省略されて「高知城」と呼ばれることになったそうだ。享保12年(1727)大火により消失、宝暦3年(1753)再建が完了。今に至っている。 |
天守を守る門も見事に残っている。 |
到着〜!ここでバスカイドさんの説明を聞く。 |
さっ、折角なので天守に入ってみよう! |
NHK大河ドラマ「功名が辻」で千代役の仲間由紀恵が着用した振袖が飾ってあった。 |
実に見事に塀や屋根が残っている。素晴らしい・・・。 |
謁見室? |
武者隠が見事に残っている・・・。 |
天守閣最上階へ通じる階段。急な階段であった。 |
天守閣から高知市の中心部を俯瞰する。 |
立派な松がたくさんある。上から見るとこのとおり・・・。 |
こういったものも展示されている。 |
駕籠も見事に残っている。 |
天守閣を出て、場内を散策する。 |
最後に、ここに来たらやはりあの人の銅像を見ねば・・・。どこだ〜! |
この旅の終わりに、このツアーで知り合いになった人たちを御紹介しましょう!このお二人は宿で同室。3日間共同生活を送った仲間である。 |
こちらは、行きの飛行機で隣り合わせになり知り合ったお二人。お二人とも心の底からウルトラマラソンを楽しむGOODランナーである。 |
今回初めてツアーにひとり参加してみたが、これがナカナカ面白かった。 |
コチラが完走メダル。 これで8回目のウルトラ完走となりました。 |